■賀正
かつて子供の頃、正月三が日は長くそれなりに厳粛なものであった。一年の重みが違うせいだと思う。子供の一年は長い。今年は5年生になるとか、今年はついに中学生だとか思う気持ちが、年の改めをたいそうなものに感じさせたのだろう。
それが年令を重ね、生物学的な意味において時の流れが早くなり、一年を短く感じるようになるとともに厳粛さを感じなくなった。一年の軽さに正月三が日と普段の日々との違いがわからなくなったのである。
しかし、ここ数年、また正月の厳粛さを思うようになった。これは逆に、一年を「驚くほど」短く感じるためだ。いつのまにか、時の感じ方のあるバランス点を通過したんだろう。油断すると今年もまた、あっという間に終わってしまうというあせりが厳粛さに変わる。いつ何が起こってもおかしくないという事をさんざん学習したせいかも知れない。
今年も一所懸命に生きる。それは「当たり前」との格闘だ。やれて当たり前。あって当たり前。ここにいて当たり前。そこにいてくれて当たり前。当たり前と思ってしまう、あるいは思われてしまう。その時たぶん何かを失っているんだろう。
あけましておめでとう。今年もたくさんの「ひらめき」が俺におとずれますように。
2006/01/04
|