地球日記

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【2006年8月】

■痒い

 とにかく痒い。
 久々に故郷の海で泳いだらイラに刺された。イラというのはおそらく地元の言葉で、全国共通語ではないんだろう。ようするにクラゲの子供。だと思う。たぶん。ふるさとの海にはこれが出る。一匹ずつは黙視できないほど小さいのだが、100匹単位の集団で漂っていやがる。泳いでる時、そこに突っ込むとビリビリっと電気が走ったように感じるのだ。
 かつてはそれだけのことで、皮膚がうっすら赤くなる程度だった。それが今回は刺された痕ひとつひとつが始めは白くやがて赤く、ぶつぶつと腫れ上がった。右膝、左膝の裏、左腕。えらいことになっている。特に左腕。広範囲に渡っており、そのぶつぶつ感は我ながら気持ち悪い。気持ち悪過ぎて何度も見たくなるほど。触りたくなるほど。
 子供の頃から泳いでた浜だけど、こんな事は初めてだな。自分の体質が変わったのか、イラが強くなったのか。とにかく痒い。今、痒い地獄の真っただ中。

2006/08/05

 

■家族

 亀田一家を通してボクシングを見ようとするから腹も立つのだ。あれはむしろ「貧乏人の子だくさん家族を追ったドキュメンタリーもどき」に近いと思う。一民放局が囲い込むところとか。あるいは「むやみに売れた子役とその家族」かな。どちらにしろテレビの中には本当の親子愛も家族愛もない。実際の亀田一家がどうかは知らない。ただテレビはふくらませるし、歪ませるという事だ。
 そんなに悪い選手ではないと思う。天才とは呼ぶべくもないが「持ちうる才能を最大限に開花させる努力」をしている選手だということは伝わってきた。
 これほどブレイクしたのは他ジャンルを見渡しても類するキャラクターがいないからだ。傍若無人。無礼不遜。その芸についてのみの個人的な意見を言えば質が低いと感じる。ただ乱暴なだけで意味も含蓄もない。競争相手がいないからこその一人勝ちなんだろう。ま、ボクサーだからしょうがない。というか、そもそもあれは本来ならロックが担うべき芸風なんだがね。
 ところでTBSはどこまで覚悟を決めて囲い込んでるのか。ボクシングの闇も含めてか。高視聴率に浮かれてお祭り騒ぎのうちに抜き差しならなくなってるんじゃないだろうね。ニュース23で筑紫哲也が謝るような事が起きなきゃ良いけどね。

2006/08/06

 

■長野

 田中康夫の敗戦。ブッシュ再選、小泉チルドレン圧勝に続くがっかり。
 田中康夫はベストではないかも知れない。しかし投票にベストの選択なんかない。どっちの方がまだマシかという判断だけだ。村井に何かマシな部分があったか?そもそも公約らしいものを何も述べてないのに。
 議会と対立する手法が云々と言われるが、既得権益を守る事しか考えてない議員や首長と妥協しない事がなぜ責められるんだろう。悪いのはどっちだって話だと思うがね。当選した村井を囲んではしゃぐ奴らの悪代官ヅラを見ろよ。分不相応な収入や財産を守れてほっとしてるんだろう。
 教育や福祉でいくら実績を積んでもハコモノの結束に負けるんだな。無党派層は好き嫌いでしか判断できないということか。総理にしたいアンケートの1位が晋三ぼっちゃんだもんな。「好き嫌い」対「目先の欲」って。もう、馬鹿馬鹿しいね。

2006/08/07

 

■治癒

 あれほどひどい様相だった左腕も80%治癒。人間の体ってえらいもんだね。以前左手親指を怪我したときにも思ったけど。いつかはちゃんと修復するんだな。
 一番凄かった時期と人に会う用事がない時期が重なって、目撃者を作れなかったのが残念。一応写真に撮ったけど、あの凄みは伝わってこない。写真には写らない美しさがあるように、写真には写らない醜さもあるんだねえ。
 今日は先月末にやった「ちょっとしたレコーディング」のトラックダウン。良い出来なので、世に出て欲しいな。無事にたどり着きますように。

2006/08/09

 

■ちょっと京都まで

 所用でまたまた東京を離れておった。そして明日は京都だ。オーケンのほほん学校のゲスト。数年ぶりの京都行き。楽しみ。でも暑いんだろうな。盆地だもんな。
 かつて博多のインディーズ・バンドとしてツアーをやってた頃、関西の移動の拠点は京都だった。ウノハウスという素敵な木賃宿があってね。本来は外人向けなんだけど、P-MODELのマネージャーに紹介してもらった。一泊一人1500円だったかな。大阪、神戸にもそこから日帰りで行っていた。今、どうなってんだろう?あの頃でさえオンボロだったし、さすがにもうないか。オンボロだけど不潔ではなく、妙に居心地は良かったよ。

2006/08/13

 

■行ってきた

 京都へ行ってきた。磔々は良いなあ。初めてツアーをやった21年前から名前もハコも変わってないのはもうここくらいかな。何年ぶりであっても落ち着く。今度はライブで行かなきゃね。ここでやるアコースティック・ライブはほとんどファンタジー。
 ホテルに大浴場があった。ちょっと夏バテ気味だったので、打ち上げ2次会を断ってそちらを選んだ。だからもう行って喋って帰ってという旅になったけど、充分楽しかった。オーケンと喋ってると、なんとも言いがたい心地良さがある。一種のグルーブ感。これが息が合うって事なのかな。
 牛の糞の山にも美しい花が咲く事がある。しかし糞は糞だ。たまたま咲いた花が美しくとも糞は糞。そこで「牛の糞も悪い面ばかりじゃない」と思うのは馬鹿だ。
 戦争ってのは糞だ。糞の中の糞。絶対糞。たまたまそこに悲劇的に美しい花が咲いたとしても。
 当たり前の話だけどね。うっかりすると勘違いしちゃうから。

2006/08/15

 

■いよいよ

 華恭のリハを開始。今日は「思い出す」で精一杯。あいかわらず居心地は良い。
 ヨウイチが得意気にSDカードのレコーダーを持ってきたが、いきなりフリーズして使えない。まことにもって彼らしい事だ。

2006/08/16

 

■灰色

 例えば、自分に反対する者をすべて「勢力」と一括りにしたり、意気地と依怙地をわざとごっちゃにしたり、特定の支持団体との約束と国民全体への約束を同列にしたりという乱暴な単純さが小泉の特徴だ。個人的にはそこを嫌うのだが、だからこその支持率の高さなんだろうとも理解する。
 歴史の折々でナショナリズムが過熱するのも同じような事かも知れない。社会が爛熟して解り難くなってきたとき、正しいのはこれ、悪いのはあれと決めてもらえるのは楽だ。ナショナリズムそのものは良い。それがしばしば教条主義におちやすいという危険性の話。簡単に言えばなんでも鵜呑みしないということ。
 人が作る社会、歴史において「これは黒じゃないから白だね」といえるほど単純な事はそう多くない。たいていは灰色であり、その灰色の「具合」を見極めるのは終わりのない作業だろう。しかしそれをあきらめた時から、どこかへ流され始めるのだと思う。
 戦争が絶対悪だというのは、そう多くない事のひとつ。権力が必要悪だというのも。これには異論はないだろう。結局、その辺を手がかりにしていくしかないんじゃないかねえ。

2006/08/17

 

■甲子園

 ここ数日、つながらない状態が続いたので更新なし。原因はわからない。ま、そういう事もあるだろうよ。
「いまだに高校球児が年上のお兄ちゃんに見える」というのは20代の頃のあるあるネタ。今はさすがに子供にしか見えない。その境目はいつ通り過ぎたんだろう。まともに甲子園大会を見たのが数年ぶりなのでわからない。
 子供に見える事で感じ方も変わる。とにかく選手が可愛い。斉藤君も田中君も、あの本間君でさえ。そりゃもう、うっかり「君づけ」してしまうほど。もちろん若いギャルの言うそれではなくて、もっと高みから見下ろした感じ。偉そうになったな、俺。ただ年取っただけのくせに。
 しかしエースの二人は大ブレイクだね。斉藤君にはさっそく「ハンカチ王子」というニックネームがついたもよう。「監禁王子」の親戚みたいだからやめてあげればいいのに。
 野球というのがいかにテンポの良いスポーツかと再認識。メジャーの試合を見た時にも思うのだが。出かける用事があったのに、あと1回だけとか思ってるうちに最後まで見てしまった。プロ野球再建も結局そこじゃないかな。言われつくしていることだけど。

2006/08/21

 

■目

 例えば、恭一のカウントから始まる曲なのに忘れてしまって始まらない時のヨーイチの目。ギターを弾く構えのまますかされて、それを責めるでもなく、笑うでもなく、じっと見つめるヨーイチの目。それは悲しい犬の目だ。「散歩に連れていってもらえると思ってシッポ振ってみてたけど、違うの?」みたいな。
 25日には、そんなヨーイチの目にも注目、しなくて良いよ、別に。

2006/08/23

 

■明日だ

 明日のライブのイメトレしてたら楽しくなって来た。最低でも年に一回は恭一とライブやりたいね。

2006/08/24

 

■華恭

 案の定だよ。一から百まで面白かったな。3-10 chainやウタノコリに加えてこういう場も持っているとは幸せな事であるよ。
 二人にとってここは主戦場ではない。むしろお互いがやってきた事をぶつけあったり融合しあったりする場だろう。かといってその場かぎりのお祭り騒ぎというわけでもない。ゆったりと、普通のユニットなら一年で終える事を五年がかりのペースで先を見てたりもする。華恭として動かなくてもそれぞれが先に進めば当然それも進むのだというのはすでにわかってるし。
 かつては予想もしなかった不思議な関係になったなあと思う。本来の意味での「相方」ではないし、今後もそうなることはないだろう。だからといって単なるミュージシャン友達の一人ってわけでもないし、ライバルというのもなんか違う。そんな関係”も”持っている自分は案外恵まれているのかも知れない。
 打ち上げ二次会は恒例の、と言っても二回目だけど、カラオケへ。ヨーイチの「デビルマン」とか、俺のラップとかでゲラゲラ笑ってるうちに、ふと気がつくと信じられないくらいヘトヘトに。みんな灰のような顔色をして、まともなお別れの挨拶をかわす余裕もなく帰路についた。また次回。

2006/08/26

 

■Tシャツ

 かつて面白Tシャツを必死になって探していた時期がある。その頃は限られた店にしかなかったが、デフレでコストが下がったせいか、ここ数年やたらと面白Tシャツを見る。そうなると辟易して欲しくもなくなるし、もう何を見ても驚かない。と、思っていた。
 本日商店街で見かけた買い物カゴを下げたお母さん。年の頃50代。ピンクのTシャツの胸にでかでかと「私は佐藤ではありません」と。ガーン。
 あんまり気になるので調べてみたら、結構有名なものらしい。しかしそんなことはどうでもよろしい。娘か息子が調子にのって買ってきたものの結局着もしないので、色んな事がどうでもよくなってしまったお母さんが「じゃ、あたしが着るわ」となったのがバックストーリーであろう。そんなこともどうでもよろしい。
 ファッションの真理とは「何を着るか」ではなく「誰が着るか」である。初心を確認させてもらった。ありがとう。お母さん。

2006/08/29

 

■ブライアン

『ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男』を観た。
 ストーンズのメンバー役が、よく見れば似てないのに似てるように見えてしまう。レコード・ジャケットなどこっちの頭に染み付いた写真のイメージを使って絵を作ってるからなんだけど、その使い方が実にさりげない。そのさりげなさにちょっと感心。
 才能のあるなしとは別に向き不向きってあるね。腐るほど才能があるのに潰れてしまったりやめてしまったり。ブライアン・ジョーンズに比べればミジンコ・レベルにスケール小さいけど、そういうミュージシャンをたくさん知ってる。それはもう「向いてなかった」としか言いようがないことでね。
 破滅型のアーティストを伝説化したり、ファンタジックに見たりするのはファンの特権だと思う。でも、どうしてもそう捉えられない。「残念」が先立つ。ちゃんとやればいいのに。

2006/08/30

 

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