地球日記

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【2006年10月】

■ファイト

 週刊ファイトが先月いっぱいで休刊になってしまった。いまやプロレス厳冬期だし、しょうがないかと納得していたつもりだったが、明日になってもキオスクに並ばないのだと思うと急に淋しくなった。25年以上毎週かかさず読んでたからね。
 プロレスそのものには正直言って前ほどの熱意を持ってない。会場にもずいぶん足を運んでない。テレビでもほとんど見ない。しかしファイトだけは読んでいた。それは習慣でも惰性でもない。プロレスとは別にファイトそのものが好きだった。プロレスしか扱ってない週刊紙なのに矛盾してるようだが、そうなのだから仕方ない。I編集長伝来のある種ロマンチックな文体とか、タブーだらけのプロレス界でどこまで書いて許されるのか試してるような姿勢とか、今のプロレスに興味を失っていても読んでいて面白かった。
 これでもうとことんプロレスと縁遠くなってしまうのだろう。インターネットで情報を拾う気はない。俺にとってプロレスとはそういうもではない。それは常に活字メディアと密接なものであった。ましてや格闘技に鞍替えする気などさらさらない。そもそもライブとレイヴくらいに違うのだ。簡単に興味を移行出来ることの方が信じられない。ミルコのインタビューなど、これっぽちも読みたくない。
 大げさではなく、ひとつの時代が終わったのだ。プロレスはなくならないとしても、変わってしまったことは確かで、それは決してもとには戻らないこともまた確かである。そのことをしみじみ考えると泣きそうなほどせつなくなる。

2006/10/02

 

■空豆

 今年最後のウタノコリをお知らせした。会場の「晴れたら空に豆まいて」は「月見ル君想フ」の姉妹店である。一度下見に行った。「月見ル〜」もまるでウタノコリのためにあるようなハコだが「晴れたら〜」もまた同じ印象。
 ポイントはグランド・ピアノがあるところ。これだけで良いライブは約束されたようなもの。藤原プロがグラピ負けさえしなければ、だけど。
 もうひとつは天井が低いこと。「月見ル〜」の高い天井の開放感も良いが、音や歓声等が会場に溜まる感じもまた良いはず。どこのハコが良いという話ではないが、アコースティック・ライブというのはハコによってずいぶん表情を変える。新しいハコでは新しいウタノコリ。今までにないムードのハコであるから今までにないウタノコリ。それはいったいどんなものなのか。楽しみ。
 あと、時節がら新曲もやるはず。その頃には何曲か形になってなきゃおかしいんで。
 しかし、今、「なんきょく」を変換して最初に出たのが「難局」だった。がんばろ。

2006/10/03

 

■週末

 明日はO-EAST。7th Floorの10周年イベント。出演時間は短いけど、始めて見る人にも「残る」ようなライブにしようと思ってる。うまくやれ、俺。
 あさっては青森。スタッフとの顔合わせのため、1回目のみ前ノリ。そしていよいよワラッター。出たとこ勝負だけど、たぶん余裕で勝つ。
 というわけで、今週末はちょっとバタバタする。

2006/10/04

 

■バタバタ

 O-EASTは時間短かったけど、なかなか良いライブが出来た。いくつになっても共演者に「良かった」と言ってもらえるのは嬉しいものだね。
 かつてメジャーデビューしたばかりの頃「ミュージシャン仲間に誉められるバンドって、えてして売れないんだよな」という事を言われた。今、経験をつんで、色んな事を見聞きしてきた自分が思うに、まさに真理だったね。
 それから青森へ。土曜ワラッター。よりによって大雨災害とぶつかって、波乱のスタート。すんなりいかないところがらしいと言えばらしい。でもイントロダクションとしては、むしろ良かったかもな。予感はたくさんあったし。いけるぜ。

2006/10/08

 

■核

 人類がうっかり核兵器というものを持ってしまって以来、最大の危機かもしれない。とうとうこんな日が来てしまったかと思う。過去にも例えばキューバ危機など、核による危機はあった。しかし曲がりなりにも抑止力を当てに出来るものだった。今回、相手はシャブ中国家だ。自身の保身以外何も考えてない者たちが特権を持つ国家に抑止力という常識が通じるんだろうか。
 そもそも核兵器とは何か。人類が地球を何回も破壊出来るほどのパワーを持ってしまうことに何の意味があるのか。使ったとたん使った側も含めてすべてが終わる兵器を使う時とはいつか。常にその命題をつきつけられる核兵器とは「思想」の領域なのだと思う。そこをなおざりにしてきたツケがとうとう回って来たのかも知れない。
 展開によっては、金正日個人が核兵器を持ったまま逃亡することもあり得るもんなあ。

2006/10/10

 

■また青森

 毎週青森に行くというのはなかなか大変だ。11年前も大変ではあったが、歳をとって時の流れが速くなったぶんより大変。油断するとそれしかしてないような感覚に陥ってしまいそう。体が慣れるまではしょうがないか。
 いや、実際は仕込みの作業や思案を色々してるんだが。ライブのこと。アルバムのこと。それからプレミアム・ボックス。まだ作ると大決定したわけじゃないけど。気持ちの高ぶり次第だな。
 今週は4時間半フルに使えて、ようやく始まった感。「いとなみ」という言葉を繰り返してるうちに意味なく楽しくなっていく、そのくだらなさに「ああ、こんなんだった」と。
 扇愛菜ちゃんのバックでウッチーが青森に。それぞれが別件で偶然一緒になるって、なんか変な感じ。ほっとするような、微妙に照れくさいような。

2006/10/15

 

■発言

「憲法では核を持つ事は禁じてない。核を持つ事についての論議はあってしかるべき。」という論そのものにも突っ込みどころはたくさんあるが、そこはとりあえずさておいてみよう。しかし政調会長の肩書きで今のこの国際情勢でそれを言えばどうなるか、そしてそれは日本の国益にとってどうか、それがイメージできなかったとしたら、そもそも政治家としての才能がないのではないか。政治家といえど本来はサービス業の一種でしかないのだから、国益にとって利か否かを第一に行動する技量が問われるわけで、出来なきゃ要するにプロ失格じゃないかと思う。それをまた地元選挙区で「信念がある」とか「正直な人柄」とか持ち上げてたりしてたら、たぶんしてるんだろうけど、うんざりだね。二世議員にゃろくなのいない。
 政治家に限らず「先生」と呼ばれる職業は、そう呼ばれる事によって職業性を覆い隠されてると思う。まずプロとしての技量こそが問われるべきなのだ。信念だの人柄だのの御託は二の次だ。だってね、歌手だとしてみて。歌は下手だわ、詞曲は高校生レベルだわじゃ、いくら信念があっても客は入らんよ。良い人だからとつきあいで1回行ったとしても、2回は観ないよな。

2006/10/16

 

■Tシャツ

 本日すれ違ったママチャリに乗ったおばさん。歳の頃は50代半ばだろうか。遠くに見えてた時から、なんだかおどろおどろしいTシャツ着てるなあと思ってたら、なんとメガデスだった。
 これがメタリカやレッチリだったらそれほど面白くなかったろう。メガデスという微妙なセレクトが素晴らしい。
 間違いなく息子のお下がりであろうが、その息子はなぜメガデスを着ないことにしたのか。ヘヴィメタ卒業か。それは就職したからか。夢をあきらめたのか。バック・ストーリーまで気にさせる一件である。
 おばさんとTシャツとわたし。これからも追い続けたい。

2006/10/18

 

■バンギャル

 というわけでもう一週間が過ぎた。明日は日本シリーズのため、最長でも2時間半しか喋らない。先週ようやく始まったと思ったら。まあ「短距離の走り方」を見せるってとこかな。
 雨宮処凛の『バンギャル・ア・ゴーゴー』が面白い。ヴィジュアル系バンドのおっかけ少女が主人公の小説。バンドが主役の小説はずいぶん読んだ。バンドが主役の映画もずいぶん観た。しかしファン視点の物語は始めて。ヴィジュアル系というのはロックにあって鬼っ子のようなジャンルだから、自分の周辺とはやや異なる話ではあるが。
 正直言ってあまり音楽が聞こえてこない小説ではある。だがそれは必ずしも批判ではない。ロックとは音楽以上の何かであり、その「以上の何か」がよく書けてると思うからだ。だから痛いし、せつないし。
「この世にロックがあったおかげで救われた者」と広く見れば通じる所もある。自分も10代の頃、もしもロックがなければ、もしもバンドをやってなければ、壊れてたかも知れないから。

2006/10/20

 

■抑止力

 核実験は噂通り失敗だったのだろう。2回目の核実験は「当面しない」のではなく「できない」のだ。目処が立てば必ずやる。
 抑止力という言葉はもはや冷戦時代の遺物となったのではなかろうか。お互い失うものが多過ぎる国の間では成立するが、失うものに大きく差がある場合機能しないのではないか。かつては失うものが多過ぎる国しか開発出来ないものだったが、北朝鮮でも開発できてしまうに至って抑止力幻想は終わったように思う。いや、開発する必要もない。闇で買える時代も近い。例えばテロリスト・グループが持ったとしたら、迷う事なく使うだろうし、その場合どこに向かって報復の核を打ち込むのだろう。
 もともとおかしな言葉ではある。「やったらやられるからやらない」というガキのにらみ合いみたいなことが立派な国際ルールのように扱われる。前々から、飲めないものを無理矢理飲まされてるような不愉快さを感じていた。そんなものをここぞとばかりに振り回す政治家の多さよ。被爆国としてはむしろ縮小廃絶に向かういい機会だと見るべきだろうに。廃絶か、人類みんなで地球ごと消えるか、核の行く末なんかそのどちらかしかないんだがね。決して大げさではなく。
 補選で自民が二連勝したのは皮肉にも北朝鮮の核実験が追い風になったのだろう。とりあえずのこととしてはそれが一番がっかり。小泉は党内の抵抗勢力を敵に見立てたが、それが出来ない内閣を抱えたシンゾーは北朝鮮を代わりにするのだ。今後も。もともと強いて言ってもそれしかない人だし。実際は中米まかせで大した事は出来てないんだけど、イメージ的にはかっこいいのかな。強行路線をどうこういうわけじゃないよ。納得出来る目算があるならいい。どうにもそれが見えないから、空気に乗ってやってるようにしか感じられない。危ういなあ。
 成熟期に入った国に住む我々にはもう国家的英雄なんか必要ないし、そもそも真の英雄なんかいないんだと思うよ。この世に大したことあるやつなんかいないって。

2006/10/22

 

■日本シリーズ

 ファイターズのヒルマン監督がバントを多用するようになったのは、「日本の投手のほとんどが甲子園野球を経験している。たとえ失敗に終わったとしても、バントを多用して1点を取りにいく姿勢を見せる事が彼らのメンタル面に好影響を与えるのだ。戦術的な意味で有効だからというわけではない。」とのこと。さすが外国人監督、合理的だ。面白くはないけど。
 あらためて中日の選手を見るに、なんだかみんなごつい顔だね。一昔前の野球選手みたい。でもハートは優しいんだね。長所と短所は裏表。優しさとチキン・ハートは裏表。8回裏最後の打席で泣いてる新庄に、まだ9回表の中日の攻撃が残ってるのにとんだガマン汁先走りだよ、と思ったところに中日ベンチが映って、いやもう終わってるわ、と。「気圧される」とはああいうことを言うんだな。優しいチキン・ハートを持つ彼らは札幌ドームの期待に答えてあげたんだね。新庄物語の脇役を一生懸命務めたんだね。
 どっちが勝とうがかまわない日本シリーズだったけど、なんだかんだで見ちゃったなあ。
 12/1に博多に行くよ。発売もののないライブだけど新曲は披露する。はず。

2006/10/26

 

■履修不足

 全国進学校の履修単位不足問題。各ニュースとも現3年生が卒業出来ないかもという点にばかりスポットを当てるので、現3年生のみの問題かと思ったら、過去にもさかのぼるんだって。ということは、受験資格のない人間が受験して合格しちゃったわけか。その入試で落ちた者にすれば「ズルして合格したやつのせいで落ちたのか」だよ。だって、その時間を受験対策に充ててるわけだから。
 これは入試制度の根幹に関わる問題じゃん。大検って何?ってことにもなるし。まあ、受験には「いかにズルを覚えるか」を競う側面が少なからずあるから、そんなもんちゃそんなもんだが。
 本気でほじくり返したらえらいことになるから、そこは触らないことにしたのかな。それもまたズルだね。
 耐震偽造問題で、誰だったか自民党議員が「日本中のマンションの耐震強度を本気で全部調べたら大変な事になる(から調べない)」と、本音を口走っちゃった事があった。それに通じるね。ズルをズルでごまかそうとする自民党が教育改正って。
 大人が率先してズルをやってみせるだけじゃあきたらず、子供たちにもズルのやり方を伝授する。そういうことか。

2006/10/27

 

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