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【2007年5月】

■低から高へ

 買ったぜ。高反発マット。低反発の限界に気がつき始めたこの頃、目に飛び込んで来たその商品名。なるほど、低が駄目なら高があるじゃないか。何事であれ極端というか針振り切ってるものに弱い性分。即買い。マット業界に踊らされてるような気もするけど、飽くなき快眠追求のためだ。時代はもはや低から高へ。
 さて、どんなもんか。一応売り場で寝転んでみたのだが、寝なきゃわからん。俺を小一時間寝かせておく度量が東急ハンズにあるわけないもんな。小さいぜ、ハンズ。
 しかし世の中には快眠を求める人が多いのだな。それ関連の商品がたくさん。企画CDも快眠ものは意外と売れるそうだ。「(寝てしまうので)絶対最後まで聞けないCD」というキャッチコピーがあった。思いついた奴の勝ちだね。効果はさておき。

 

 

2007/5/8

 

■映画

 映画Day。 『ブラッド・ダイアモンド』
 資本主義はアフリカや中東やアジアで虫けらのように死んでいく命によって成り立っているのだ。見て見ぬふり、気づかぬふりをしてもそれが事実。やっぱりこんなものが人類の最終型、理想型だとは思えない。

『ラブソングができるまで』
 思わぬ拾いもの。ラブストーリーというより、音楽業界ものとしてよく出来ている。客席中俺しか笑ってない場面多々あり。『スパイナルタップス』や『スティル・クレイジー』に似た味わいがある。DVD買う。

『ロッキー・ザ・ファイナル』
 感動する気満々だったのがやや肩すかし。期待値が高すぎたか。ファン向けアイテムだな。

 

 

2007/5/10

 

■なぜ?

 改憲の理由の第一位「時代に合わなくなったから」というのがどうもわからない。そもそも時代に合ってたことなんてかつて一度でもあったか? 時代とか流行りとか、そういったものを超越した理念として解釈してたのだが。なぜ今になって急に? いわゆる「ためにする論」ってやつじゃないのか。
「アメリカの押しつけの憲法だから」というのはわからなくもない。しかし「アメリカの言いなりになるための憲法」はもっとタチが悪い。イラク派遣から日米同盟再編の流れを見ればそういうことだと思うんだが。改憲したらとりあえず米軍への思いやり予算をやめるというんだったらね、いいけど。
 現憲法が守られてないことが問題ならその主体は自民党にあるはずで、このまま改憲を許すというのは泥棒に刑法を作らせるのと同じことだわな。
 なによりあんなぼっちゃん総理にそれをされたくない。

 自衛隊の存在目的が変われば入隊者はきっと減る。だからといって徴兵制なんか始めたら選挙に負ける。ならばアメリカを見習うしかない。つまり「貧乏人よ、貧乏から抜け出したければ軍隊に入れ」という社会。格差社会って、たぶん意図的。
 今黙って見過ごしてることのしわよせは若者達や子供達にいくんだなあ。

 

 

 

2007/5/20

 

■きれいごと

 もう政治家や官僚はサービス業として金のやりくりだけに徹してくれたらいいのに。下手に信念だの信条だの国家大計だのときれいごとをふりかざすほど悪い方へ傾いていく。最たるものが「美しい国づくり」。その目玉(自称)の教育三法。どんな言葉を並べたところで、教育に割く予算が先進国中最低という事実の前では戯言だな。まず校舎の雨漏りを直してやれよ。本当にきれいごとの好きな総理だよ。あ、そうか「美しい国」とはつまり「きれいごとの国」ということか。今、気づいた。なんかしっくりくる。ぼっちゃん総理を言い表すに「きれいごと」はキーワードだ。

 もうツアーだ。どたばたしてる。すんなりいかないことが多過ぎ。あと、一年短過ぎ。

 

 

2007/5/21

 

■広島

 昨日は澄ちゃんの実家におじゃま。古い日本家屋は落ち着くね。ツアーとは思えないくらいのんびり。夜遅くまで高校生のように語った。音楽について美について。

 今日はこれから広島ウタノコリ。場所を移したネオポリスは元パチンコ屋丸出しで面白い。楽しくなってきた。どんなライブになるだろう。

 ところでせっかく送った会場案内、間違ってたらしいです。横川商店街でなくタカノバシ商店街。混乱させて申し訳ないです。

 

 

 

2007/5/24

 

■長門

 広島はよく盛り上がった。元々リアクションのいい土地ではあるんだけど、その中でも出色。前半こっちが油断してぐだぐだになっちゃったのが逆に効を奏したかな。リラックスした良い空気になったもんね。中盤からきっちり締めて、アンコール最後はかつて例のない「偶然にも明るい方へ」となった。ていうか、こういう「偶然にも明るい方へ」が理想だったんだ。

 そして今日は長門。俺が3連チャンはやりたくないという理由だけの空き日。 只今、藤原プロがスケッチ中。人格が破綻している人ってなぜか良い絵を描くものだが、例にもれず彼の絵もなかなかのもの。実はそのうちウタノコリ会場で展示するプランがある。

 

 

 

2007/5/25

 

■山口から博多へ

 山口でのライブはやはり特別なライブになった。他県からのお客さんが多いのだから、結局は俺の気分の違いなんだろう。うん、いいライブだった。いつもいいライブになると分かってるんだけどビデオに残そうという気にならないのが特徴かもしれない。そっと心にしまっておきたいような。  昨日は澄ちゃんとプロも最高に面白かった。今回のメニューもずいぶんふくらんできたな。

 そして今日は長門。俺が3連チャンはやりたくないという理由だけの空き日。 さて、これから博多へ向かってそこでライブ。もうひとつの原点の地。このメニューにどんなリアクションが返って来るだろうか。楽しみ。

 

 

 

2007/5/27

 

■博多〜帰京

 博多のウタノコリは良いライブを超えて凄いライブだった。盛り上げる盛り上がるという種目において人間がやれる限界点近くまで行ったんじゃないかな。ステージ上の充実に客席のリアクションがうまく噛み合って理想的な展開。狙ったことがそれ以上の結果となって返って来る。いや、気持ち良かった。最後の一滴まで出し切った。
 思い返せば広島で勢いをつけてもらって、山口で何かを確かめて、博多で大爆発してと、美しい流れだった。諸事情により色んな人の好意に甘えたツアーでもあった。記憶に残る3本。

 そして帰京。声は気持ち良いくらい潰れてる。さすがにヘトヘト。澄ちゃんはその足で高円寺にライブをやりに向かう。プロはその足で友人と酒を飲みに向かう。元気だなあ。

 

 

 

2007/5/28

 

■サムライ

 そもそもサムライとは美しくカッコいいものなのか。サムライから何を読み取ろうが好きずきだが、あえてちょっとひねくれてみる。
 お家のため(組織防衛のため)に死をもいとわない隷属的役人集団ともとれる。個人の尊厳、正義感、倫理観よりもお家(自分が帰属する組織)大事であり、個人の正常な判断などは身勝手と批難される。それは組織にとって都合の良い駒である。例えば昨今の企業の不祥事はサムライ魂の発露とも言えるわけだ。
 そして組織防衛のための無駄死に(現に見合う効果がないという意味で)をことさら美化してきたのがこの国の伝統だ。せめて大義があれば救われるが、大義そのものが矮小化した組織をごまかすためにでっち上げられるのもまた常である。国のためと言いつつ現政権のため、軍部のため、政党のため、省庁のため。果ては誰かの保身のため。
 そういう意味でのサムライならば、農相自殺に対する石原の馬鹿コメント「死をもってつぐなうとは、彼もまたサムライであったということか」ってのは間違ってはないな。たぶんそういう意味じゃないけど。
 石原に限らず、権力を持つ老人がサムライだの武士道だの言うときは気をつけた方がいいと思うよ。うっかり感動するとその純真さにつけこまれていいように使い捨てられるから。

 

 

 

2007/5/30

 

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